2023年7月14日公開の「君たちはどう生きるか」。宮崎駿監督の10年ぶりの作品、そして何の告知もなかったことで一躍話題の作品です。
「君たちはどう生きるか」というと、吉野源三郎の小説を真っ先に思い浮かべます。15歳の少年コペルくん(本田潤一)が叔父と人間のあるべき姿、つまり「どう生きるか」について追求し、精神的に成長していくお話でした。この本はベストセラーとして、多くの世代に読み継がれてきました。私も実際中学生の頃に読んだことがあります。(大体のお話は忘れてしまいましたが、、、)
今回上映した宮崎駿監督作「君たちはどう生きるか」は、本書にインスパイアをされているものの、ストーリーとしては、全く違う物語になっています。これも人々を騒がせた1つの要因になりますね。
さて、早速ですが、ここから私自身の解釈を記していきます。(ネタバレを含むので、鑑賞後に見ることをお勧めします。
引用:Google
まず全体としてこの映画の伝えたいことは「現実を受け止めて、前に進むこと」と解釈しました。物語内の視点で解釈するか、現実世界に焦点を当てて解釈するかでまた意味合いは変わってくると考えますが、今回は現実世界のことに焦点を当てず、物語内だけで解釈を進めていきます。
主人公の眞人は空爆により病院が燃え、入院していた母を失くし、父と共に東京を離れる。父は母の妹ナツコと再婚し、ナツコはお腹に子供を授かる。物語はこの田舎のお屋敷から始まります。
・眞人の頭の傷について
眞人は田舎の学校に通いますが、東京から来た富裕層の息子というだけで周囲から疎ましく思われ嫌がらせを受ける。下校中、他の生徒と取っ組み合いの喧嘩になるが、軽傷で終わる。しかし学校に行きたくない気持ちが強かった眞人は自ら石で頭を殴り、血だらけで家に帰る。両親に話を聞かれても、道で転んだとの一点張り。しかし自身でそんな傷を追うはずがないため、父は生徒にやられたと思い込み、学校を辞めさせる。これは眞人の狙いであり、今後も出てくる「悪意の象徴」なのである。
・異世界について
眞人が迷い込んだ異世界では死者も生者もこれから生まれようとする命(わらわら)も全てが存在している世界だった。一緒に異世界に入り込んだはずのキリコはなぜか昔の若い姿になり、ずっとこの世界に存在したことになっていた。この異世界は大叔父様の理想郷を表しているのだと考えられる。死者も、生者もこれからの命も全てが共存することで、大切なものを失わない。戦争で死んでいったものたちの悲しみにくれることなく、綺麗な過去だけで生きていくことができる。
・積み木について
この異世界を大叔父の理想郷だとするならば、綺麗な過去、思い出が積み木にあたる。綺麗なものだけで積み上げることで理想郷が実現されると大叔父は考えているからだ。そこに一切の悪意など存在してはならない。これは終盤で眞人が悪意のある墓石を見抜くシーンにも関係する。こうした綺麗なものだけを詰めた世界、嫌なことからは目を背けたいという思いは子供らしいと感じる。嫌なことにも目を向け受け入れることで人は精神的成長をできるのだ。だからこそこの異世界は”積み木”という子供のおもちゃで出来ており、現実逃避した”心が子供のまま”の大叔父を表現しているのだろう。しかし、積み木はこれ以上安定せず理想郷も終わりを迎えてしまうため、後継者の役割を眞人に任せたかった。理想郷であるのに、ペリカンが生者やこれから生まれる命を搾取しないと生きられなくなったのも、インコが生者を食らうのも結局理想郷というものは存在せず、一方にとっての理想郷は他方にとっての地獄であることを意味しているのだとも捉えられる。
・眞人の成長
眞人は戦争で亡くなった母に強い未練を抱いており、新しい母となる母の妹ナツコに向き合っていなかった。ナツコおばさんと呼び、母として認め図、会話も多くはせず不貞腐れた態度だった。(父が母の妹と結婚するという非常に複雑な立場ゆえも関係すると思うが)眞人が異世界に入ってしまったのは、ナツコを助けるためだが、奥底には”戦争で死んだ母に会いたい”という強い思いがあるからだろう。実際この世界にはヒミという若き日の母が存在しており、眞人は母に会うことに成功している。
眞人は産屋でナツコを見つけ、元の世界に連れ戻そうとする。しかしナツコは産屋にこもり、眞人にむかい「あんたなんか大嫌い」と言葉をぶつける。これはつわりのせいもあるが、恐らく眞人が今までナツコにしてきた態度に限界が来てしまったのだろう。また「帰って」と言っていたことから眞人には現実逃避せず元の世界に帰ってほしいという願いや心配もあるのではないか。ここで初めて眞人はナツコを「母さん」と呼ぶ。これは今まで自身がしてきた行いがこんなにも人を傷つけているのだということに気がつき、ようやくナツコと向き合おうとする心が芽生えたからだと考えられる。これはナツコが母になるのだという現実を受け入れて前に進もうとしている成長が窺える。
場面は変わり大叔父の後継者になることを断るシーンで考える。眞人は理想郷を継ぐか継がないかで葛藤するが、元の世界に帰ることを決断する。自身にも傷(悪意)があり、綺麗な積み木だけを積むことはできない。そう答えを出した眞人は、綺麗な過去だけでできた世界に浸るのではなく、忘れたくなるような過去も受け入れて前に進もうとしたのである。(積み木を積んで理想郷を守るのではなく、母がいない世界に戻った)
現実世界に戻るための扉に入る場面でも眞人の成長が窺える。眞人はヒミ(母)に一緒の時代に来て欲しかった、生きてて欲しかった。しかしヒミは「私は眞人のお母さんになるんだからな」と自身が火事で死ぬ未来を知ってもなお眞人を産むために、彼女が来た時代へ一人戻る。眞人もヒミが死んでしまうことがわかっていながらも、ヒミの言葉(現実)を受け止め、ナツコと元の世界へ戻っていく。きっとこの異世界で多くを体験する前であったら、ヒミを死なせたくないという思いのあまりこの決断はできなかっただろう。異世界に入るはじめの方に『ワレヲ學ブ者ハ死ス』と書かれた門があるが、この門に入り、何も体験していなかったとしたらこのような成長は決してなかっただろう。
こうして眞人は母の死という辛い現実を受け入れて前に進み、ナツコとも向き合い、青鷺という友達と言える存在もできた。眞人は大叔父の理想郷を通し、綺麗な過去だけを見て現実から逃げていてはいけないということを学んだのだ。
・キリコについて
若い姿であることから、かつてヒミが失踪した際に追いかけるようにして異世界に入ったのではないか。キリコもまた主人公と同様”傷”を持っている。
・ナツコについて
なぜ異世界へ連れて行かれたのか不明だが、1つは大叔父が眞人を異世界へ連れ込み母に合わせるため。もう一つは姉を亡くしたことや眞人に避けられている現実からの逃避だと考えられる。
私は物語内のキャラクターだけを用い解釈しましたが、それにしても不可解な点が多く、この程度の解釈に留まりました。宮崎駿監督の作品は現実社会と深く関わりがあります。現代社会と映画を照らし合わせて見てみるとさらに深い解釈が得られるのではないでしょうか。
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